西行と崇徳院

小林秀雄の評論で西行を知った。勿論、名前は知っていた。

西行と崇徳院は同時代を生きた。

西行は有名であるが、聞けば西行の和歌とわかる人は如何ほどだろうか。最低限でも芭蕉と同程度には評価されるべき人物であろう。
$$ 心なき \ 身にもあわれは \ 知られけり \ 鴫立沢の \ 秋の夕ぐれ \quad (西行)$$
数学者岡潔のこの歌の評は、「無明を直視したため美しく弱弱しい」。

崇徳院は怨霊伝説と落語の演目で有名である。その落語のサゲに崇徳院の百人一首の歌が使われている。下がその歌である。
$$ 瀬を早み \ 岩にせかるる \ 滝川の \ われても末に \ あはむとぞ思ふ \quad (崇徳院) $$

$$ 吉野山 \ やがて出でじと \ 思ふ身を \ 花散りなばと \ 人や待つらむ \quad (西行) $$

$$花は根に \ 鳥は古巣に \ 帰るなり \ 春のとまりを \ 知る人ぞなき \quad (崇徳院)$$

$$世の中を \ 思へばなべて \ 散る花の \ わが身をさても \ いづちかもせむ \quad (西行)$$

$$願はくは \ 花のもとにて \ 春死なむ \ その如月の \ 望月のころ \quad (西行)$$

岡潔は西行の歌を、無常の半面を詠んだものだが、半面しかわからぬ人にはこうは詠めないと評した。
無常の対義語は常住で「永遠に存在すること」。無常な世界の中で宗教は常住を語り、無常な世界は常住な数学で表現される。いつか光明は射すだろうか?

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